鉄道風景2004総括(リストラ)

忘れもしない、2004年は、25年勤めた会社をリストラ(「リストラ」なんてもう死後ですね)された年です。49歳の夏、次の仕事が決まるまで老後を疑似体験したような90日間。そのとき思ったのは、年老いた時①趣味があること、②友がいること、③健康であることが重要であるということです。16年経った今、お陰様でこれらが満たされており、幸せな老後を迎えています。当時は「なんで私が!」とずいぶん腹が立ちましたが、その後は謙虚に年を重ねることができました。今の自分があるのはリストラのお陰と思っています。(2020年4月23日編集)

応援虚しく2007年3月に廃線となった鹿島鉄道。早朝フレッシュひたちに乗って石岡で下車し、様子見がてら車両基地が見渡せる跨線橋 から始まるカシテツの1日。懐かしい5番線ホームとカシテツ・オールスターズ。遠くに常磐線415系、筑波山も写っています。(鹿島鉄道 石岡)

磐越西線(電化区間)では、主役のD51498、C57180や、人気の485系に対し、地味な存在だった455系電車。移動 手段としてしか考えていなかったので、真剣に撮っていません。カッチリ感のあるクロスシートで冷えた身体が温まったのが、一番の旅の思い出です。(磐越西線 会津若松)

雪景色にお似合いの蒸気機関車。当時は、2月には磐越西線(電化区間)あるいは只見線で運用がありました。車が不得手なので、只見線に乗って塔寺で降りて旧道を歩いて撮影場所に到着するスタイル。非効率な撮影でした。でも元気でした。(只見線 塔寺)

急行能登に乗って、早朝糸魚川に到着し、便が少ない大糸線に乗って根知に着き、1時間待って撮った写真です。16年も前のことなのに当時の感情や情景をよく憶えています。手間と苦労をかけて撮った写真だからでしょうね。(大糸線 根知)

D51撮りに、真冬の磐越西線を訪ねたときの1枚。会津地方には珍しい冬晴れで磐梯山がクリアに見えましたが煙はスカ。翌日は撮影不能なほどの猛吹雪で駅撮りしかできず。蒸気撮影は難しいものです。(磐越西線 翁島)

春の江ノ電。紫陽花の頃によく撮る隧道を抜けた御霊神社の踏切辺りからの1枚。改めて写真を見て、この頃は紫陽花の株はなかったのに気づきました。咲いているのは季節的に菊桃でしょうか。1001も旧塗装で懐かしいです。(江ノ電 長谷)

5月、初めてのデジイチ、EOS Kissデジタルを購入。さっそく只見線へ試し撮りに出かけました。新緑の美しさとカメラ性能の両方に感動の旅でした。(只見線 早戸)

鹿島鉄道では、好きだった駅の1つ浜駅。けっこう揺れながらやってくるのは、特徴ある平面顔の600形。お馴染みの光景でした。(鹿島鉄道 浜)

金曜日、帰ろうとしたら秘書に呼ばれて社長室。平たく言えば退任勧告でした。ドラマのワンシーンのよう。頭は真っ白。その週末か次の週末、馬立でこれだけ撮って帰ったことはよく憶えています。帰巣本能のような感じで好きな場所を訪ねたのでしょうか。(小湊鉄道、馬立)

梅雨の中休み。流れる雲と青い空、北へ向かうカシオペアの輝くシルバーボディ。続けて北斗星、行き交う普通列車は113系湘南色。ヒガハスは役者揃いでした。(東北本線 蓮田)

7月から、毎日が日曜日になりました。収入はないけど、課題もない。とりあえず1週間ほど北海道へ。日高本線は、学生時代以来ほぼ25年ぶり。(日高本線 日高門別)

朝は喫茶店でゆっくりモーニング。そのあと図書館でお昼まで雑誌を読んで、昼寝をすればもう夕方。そんな日々がしばらく続きました。写真も撮りましたがイマイチ気乗りしませんでした。やはり、働いて週末を迎えてこその楽しみだったことに気づきました。(小湊鉄道 光風台)

中根の田園では、素晴らしい夏景色が撮れました。まだ茨城交通でした。(茨城交通 湊線)

真夏の只見線・磐越西線は、天気に恵まれ、良い写真が撮れました。只見川では名物川霧が出ました。(只見線 会津宮下)

2011年の大雨で不通になってしまった、第八橋梁と会津蒲生岳。この美しい景観が、もうすぐ復活しますね。(只見線 会津大塩)

磐越西線では、蒸気の白煙のような夏雲が。直前まで大勢いたアユ釣り名人が移動してしまったのは残念だなぁ、そういう記憶も鮮明です。(磐越西線 山都)

この頃、廃線が取り沙汰されるようになってきた岐阜市電。翌年(2005年)3月に「休止」という形で結局あっさり廃線に。これが最後の夏のシーンになりました。後方に見えるのは忠節橋。3年間、この橋を渡って高校に通学しました。(岐阜市電 西野町)

次の仕事先が決まりました。実りの季節に大糸線。国鉄色気動車の存在が、日本の秋を演出してくれます。(大糸線 南小谷)

次の月も大糸線。長野新幹線とレンタカーを使って気軽に訪問していました。(大糸線 頸城大野)

10月には紅葉が見頃の山田線沿線。盛岡支社では運用が発表されていて、少ない本数のダイヤながら、絶景をゆく古参気動車が撮影できる貴重な鉄路でした。(山田線 平津戸)

白樺林が高原の秋らしく、当時のお気に入りの1枚。たまたま隣合わせとなった方は、今もおつき合いのある鉄友さんです。(山田線 松草)

復活蒸気のなかでは、一番好きなC1266。いつも期待どおり(期待以上の)爆煙です。最近はすっかりご無沙汰ですが、長く元気に頑張ってもらいたいものです。(真岡鉄道 天矢場)

紅葉のトップシーズンは四連で走っていた小湊鉄道。今は里山トロッコがその役目を果たしていますが、またキハ200の長い編成も見てみたいものです。(小湊鉄道 上総大久保)

師走にぶらり鹿島鉄道。思いがけず、DDが431と432をけん引する臨時運用があり、ラッキーな訪問となりました。(鹿島鉄道 桃浦)

師走に花輪線。始発駅好摩は、啄木ゆかりの駅です。(花輪線 好摩)

当時、よく訪ねた松尾八幡平駅。気に入っていた木造駅舎が取り壊され、小ぎれいな駅舎になってションボリでしたが、気を取り直して、国鉄色同士の交換を撮りました。(花輪線 松尾八幡平)

夕顔瀬橋という風情のある名前の付いた橋から見た、岩手山そして橋を渡る山田線のシーンが好きで、旅の締めにはほぼ必ず立ち寄りました。この時は、順光の岩手山バックに気分良い締めとなりました。(山田線 盛岡)

私にとっては最初で最後の磐越西線、クリスマストレイン。素敵な煙でした。(磐越西線 日出谷)

湊線、冬景色。この木何の木、花は咲いたら楽しみと、春も夏も通いましたが、花は咲かないみたいです。下道が廃道となり、その後このアングルでは撮れなくなりました。(茨城交通 平磯)

最後の1枚は鉄道写真ではありません。バブルの象徴、今は無き赤坂プリンスホテルのクリスマスイルミネーション。撮った記憶はありませんが、データでは2004年12月撮影となっています。新しい仕事場は、この近くにありました。

コロナのせいで外出できず、古いハードディスクの整理に精出しています。16年前の2004年の私の旅にお付き合いくださり、ありがとうございました。Fin.

四季の旅写真Gallery Annex

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